芸人飛行士の走り書き

マサチューセッツの心があるから 誰にも負けない もう迷わない

批評ができなくなったのは全てが個性になったから

映画の年間ベストを決めたら死ぬ。

ツイッターでこの時期流行る。映画アカたちが年間ベスト10を書きだす。この行為が私は大好きだ。大好きなのにここ数年なんだかなあと思っている。自分でもよく分からなない。もちろん、自己顕示欲がすさまじい感じが苦手。あとは映画好きが持ってる映画を観てる俺すげえっていう特権意識が苦手。金属バットで殴り倒してやりたい。でもそれだけじゃない。

最近分かった。立川談志が生前こう言っていたらしい。「落語はもう笑いでもなければ技術でもないし芸でもない。落語は個性だ。」

私のずっと感じてきた違和感。それに対する回答はこれだった。

観てきた映画を並べてベストを決める。それやって何なの?と思ってきた。意味なんてないのではないか。分かった。どれが優れているのかを順位付けしてももう個人の個性でしかないのだ。

最近は批評ってものが存在できなくなってる感じがしていた。それをしたところで、好きな人は好きなんだから。そう思っていた。じゃあ、昔は批評が力を持ってて、今は批評が力を持てない。それは何でなん?と感じてきた理由っていうのがよく分からないまま棚上げ状態だった。

簡単な話だった。批評が機能するのは「正しさ」がどこかにあると皆が思っているからだ。でも今の時代はもう正しさなんてない。好きなものは好きでいいし。正しいも間違いもない。すべては「個性」でしかない。受け手が思ったらもうそれでいい。批評が野暮になった。もしくは悪口をただ言っているように見えるのはそういう事だろう。

私もそう感じる。批評っぽい事を言ってるんだけど悪い部分をただ突っついてるだけに見えてしまっていた。私自身がそう思っている限り、やはり私自身も批評的なことを言えなくなっていた。